「親なのだから、大切にしなければ」
「もっと優しく接しなければ」
「介護できることにも、感謝したほうがいいのではないか」
介護を続けていると、誰かから言われなくても、自分自身にこう言い聞かせることがあるかもしれません。レイキを学んでいる人であれば、五戒の「感謝して」という言葉が頭に浮かぶこともあるでしょう。
しかし、疲れているとき。腹が立っているとき。介護そのものが苦しくなっているとき。「感謝しなければ」と考えても、心の底から「ありがたい」と感じられないことがあります。
では、そんな自分は五戒を実践できていないのでしょうか。反対に、「感謝できないなら、感謝しなくていい」と考えれば、それで終わってよいのでしょうか。
今回は介護で感謝できないとき、レイキ五戒の「感謝して」をどう受け取ればよいのか。介護者を対象とした研究や公的資料を確認したうえで、介護福祉士として介護に携わり、レイキを実践してきた私自身の経験から考えてみます。
なお、ここで紹介する研究の多くは「家族介護者」を対象にしたものです。後半で触れる私自身の経験は「介護職」としての経験であり、両者を同じものとして扱うつもりはありません。その違いも踏まえながら考えていきます。
「介護ではこんなことを思ってはいけない」という罪悪感
介護をしている人が介護する相手に対して否定的な感情を持つこと自体は、研究対象外の話ではありません。
例えば、認知症の家族介護者13人への質的研究では罪悪感の背景として、自分の限界、介護相手への否定的な感情、関係性の変化、自分や他の家族の生活を疎かにしたことなど、複数の要因が確認されています。
また英国の認知症家族介護者221人を対象とした研究でも、「本人に悪いことをしている」「介護者として十分ではない」「否定的な感情を持った」「自分をケアした」「他の家族を疎かにした」といった罪悪感が整理されています。
つまり、「腹を立ててしまった」ことと、「腹を立てた自分は駄目だ」と自分を責めることは、別の問題です。
さらに、177人の認知症家族介護者を2年間追跡した研究では、葛藤や罪悪感の変化は抑うつ症状の変化と関連し、他の要因を考慮した後でも両者によって抑うつ症状の変化が追加的に9.22%説明されました。
だからといって、「感謝できない=うつ状態」という意味ではありません。ただ、自分が抱いている感情だけでなく、その感情を持った自分を責め続けることも、介護者の苦しさを考えるうえでは無視できないのだと思います。

介護の苦しさは「心の持ち方」だけでは説明できない
もう一つ、忘れてはいけないことがあります。介護の負担は本人の心のあり方だけから生まれるものではありません。
2022年の国民生活基礎調査では、同居する主な介護者の68.9%が女性でした。また、「ほとんど終日」介護している同居介護者では女性が74.5%を占めています。同じ2022年には、過去1年間に介護・看護を理由として前職を離れた人が10.6万人いました。
さらに、2024年度に自治体が養護者による高齢者虐待と判断した事例を分析すると、発生要因として「介護疲れ・介護ストレス」が57.2%で確認されています。これは複数回答による虐待事例の分析であり、「疲れている介護者の57.2%が虐待する」という意味ではありません。
これらの数字は、「だから感謝には意味がない」と証明するものではありません。介護の苦しさには介護時間、仕事、家族関係、経済、本人の状態、利用できるサービスなど、心の持ち方だけでは変えられない条件も存在するということです。
厚生労働省も「市町村・地域包括支援センターによる家族介護者支援マニュアル」に「介護者本人の人生の支援」という副題をつけ、介護者自身を支援の対象として扱っています。介護が苦しいときに、すべてを「もっと感謝できるようになれば」と自分の内面だけの問題にしてしまう必要はないのです。

それでも、「感謝」には意味がある
一方で、ここまでの話から「では、感謝なんてしなくていいのではないか」と結論づけることも、現在の研究とは合いません。
中国の認知症家族介護者101人を対象とした研究では、感謝の強さは肯定的な捉え直し、受容、情緒的支援を求めること、介護能力感や社会的支援などと関連し、それらを介して介護負担や抑うつ症状の低さと関連していました。ただし、ここで確認されているのは主として「関連」であり、「感謝すれば介護負担が軽くなる」という単純な因果関係ではありません。
さらに2026年には34か国、計10,696人を対象として、6種類の短い感謝実践を比較した大規模実験が報告されています。感謝の課題を意図的に行った人では、対照課題と比べてポジティブ感情などに平均的な改善が確認されました。一方で、効果には実践方法や国による違いがあり、「負債感」もわずかに上昇しています。
ここは今回のテーマを考えるうえで重要だと思います。自然に湧いてくる感謝だけに意味があり、意図的に感謝へ目を向けることには意味がない、とは言えません。自分の意思で「今日は何に感謝できるだろう」と考えてみる実践にも、意味がある可能性があります。

「感謝」には少なくとも三つを分けて考えたい
ここまでの研究を踏まえると、私は「感謝」を一つにまとめず、少なくとも三つに分けて考える必要があると思っています。
一つ目は、何かに触れたとき、自然に内側から「ありがたい」と感じる感謝。
二つ目は、自分の意思で感謝できるものへ意識を向けたり、感謝について考えたりする、意図的な実践。
そして三つ目が、「親なのだから感謝すべきだ」「つらくても感謝しなければいけない」といった他者や社会的な規範、自分の中に取り込んだ価値観などによって「感謝しなければならない」と追い込まれている状態です。
この時、一つ目と二つ目は必ずしも対立しません。意図的に目を向けることで、これまで気づかなかった価値に気づき、そこから自然な感謝が生まれることもあるでしょう。
ただし三つ目については慎重に考えたいところです。
今回調べた範囲では「家族介護者に感謝を求めることで、罪悪感や抑うつが増える」という直接的な因果関係を検証した研究までは確認できませんでした。したがって、「感謝を求めることは介護者を苦しめる」と科学的事実のように断定することはできません。
それでも私は自分から感謝へ目を向けることと、感謝することを外から求められることは同じではないと考えています。

五戒の「感謝して」に戻って考える
ここで改めて、レイキの五戒に戻ります。
今日だけは
怒るな
心配すな
感謝して
業をはげめ
人に親切に
かつて五戒が単なる気休めではなく、日々唱え、心に念じる修養として捉えられていたこと。この点を考えると「感謝できないなら、感謝なんてしなくていい」というだけでは、五戒が持つ修養としての側面を十分に扱えていないと私も思います。
一方で、「今日だけは」の唯一の正しい意味は何なのか。
「感謝して」の対象は誰なのか。
「感謝できなくてもいい」という考え方を臼井甕男本人が示していたのか。
こうしたところまでは確認できませんでした。したがって、ここから述べることを「五戒の本来の意味」や「臼井甕男の正しい教え」として語るつもりはありません。
介護福祉士として介護に携わり、レイキを実践してきた私自身が、「感謝して」をどう受け取っているのか。ここからは、そうした話になります。
「苦しい時にも感謝するからこそ修練なのではないか」
今回の内容には、こうした反論があると思います。
「感謝できない自分を認めるばかりでは、五戒を自分に都合よく解釈しているだけではないか」
「苦しいときにも感謝を実践するからこそ、修練になるのではないか」
これらの意見を、私は簡単に否定できません。実際、心理学研究でも、自分の意思で意図的に感謝へ注意を向ける実践に一定の効果が報告されています。だから私は、「自然に感謝できるようになるまで何もしなくていい」と考えているわけではありません。
ただ、私自身は外圧によって「感謝していることにさせられる」状態を、感謝とは捉えていません。私には、それは感謝というより『感謝という型への従属』に見えます。そして「苦しいときでも感謝すべきだ」「五戒を守れない自分は未熟だ」という考えが自分の中にあるのなら、その考え自体にも一度目を向けてほしいと思っています。
なぜ私は、そう考えているのか。
その考えは、今の自分をどこへ向かわせているのか。
それでも私は、この考え方を大切にしたいのか。
五戒を守ろうと努力することだけでなく、その五戒を前にしたときに現れる自分自身の価値観や観念を見ることも修練の一部だと私は捉えています。そして私自身は、五戒を「安心立命」の境地へ向かうためのものとして受け取っています。
安心立命とは、人力を尽くしてその身を天命に任せ、どんな場合にも動じないこと。
ただし、これは私自身のレイキ理解です。「五戒そのものの歴史的な目的が安心立命である」と一次資料からどこまで直接確認できるかについては、今回の調査では結論を出せていません。

介護職が「利用者がお金に見える」と悩んだとき
ここからは家族介護者の研究ではなく、介護職として働いていた際に受けた相談の話です。
私は以前「利用者がお金に見える」と感じてしまう介護職から相談を受けました。
利用者が介護によってどのような生活を送れるようになるのか。その方が大切にしたかったのは、「個人の尊重」「利用者本位」といった本来の介護でした。しかし現実には利用者の暮らしよりも、得られる報酬を最大化することが優先されるような職場のあり方に対して、思うように言語化できずに抱え込んでしまっている様子でした。
このようなモヤモヤとした環境にいるうちに、利用者に対する「ありがたい」という感覚そのものを感じ取りにくくなっていったと言います。
このとき、「介護の仕事ができることに感謝しよう」「利用者にもっと感謝しよう」とアドバイスすれば、それで解決したのでしょうか。私はそうは思いませんでした。
何故なら「こうすれば感謝したことになる」という型を準えたところで感情は追いつかず、その言動が言行不一致となって、その感謝が『感情の伴わない感謝』だと自他共にわかってしまうからです。それは「感謝を感じていないのに感謝しようとする」自分や、「感謝しているように振る舞う態度」を見せられた相手の心に虚しさを生じさせます。
そのため「なぜあなたは、感謝を感じられなくなっているのだろう」と問いかけたことで、自分が大切にしたい介護と当時の職場で感じていた価値観とのズレに氣付かれたようでした。
もちろん、家族介護者が感謝できなくなる理由が同じだとも、「感謝できないときには必ず価値観と環境のズレがある」とは考えていません。
疲労かもしれません。
昔からの家族関係かもしれません。
仕事や経済的な問題かもしれません。
あるいは、理由を探しても簡単には分からないこともあるでしょう。
私の経験から言えるのは「感謝できない自分をすぐに修正しようとする前に、『なぜ今こう感じているのだろう』と考えてみることで見えてくるものがあった」ということです。

私にとって「感謝して」とは何か
では、私にとっての「感謝」とは何なのか。一つの到達点として考えているのは「ありがたい」と自然に感じられることです。
私は『有り難い(ありがたい)』という言葉を、「その人、その出来事、その時間、その状態がここに存在していることは、決して当たり前ではなかった」と氣付く感覚として受け取っています。
ただそれは、感謝が生まれるまで何もしないという意味ではありません。
自分の意思で、今あるものへ目を向けてみる。
今日あった出来事を振り返ってみる。
普段は当たり前にしている人の存在について考えてみる。
そうした実践から気づくこともあるでしょう。
私にとって重要なのは「感謝する」という結果を無理につくることではありません。
まず、「今の私は、感謝できていないのだな」と氣付く。
余裕があるなら、その背景を見てみる。
自分は何を大切にしているのか。
今、何に傷つき、何に疲れているのか。
変えられることと、変えられないことは何なのか。
そして、これから自分は何を選ぶのか。
その過程で「これは当たり前ではなかった」「この時間は貴重だった」「この人がいてくれたことは、ありがたいことだった」と気づくことがあるかもしれません。
そこから感謝が生まれることもあるでしょうし、生まれないこともあると思います。ただそのとき、「ここまで考えたのに感謝できない自分は駄目だ」と、もう一度自分を責めるために五戒の『感謝して』を用いることは、安心立命の境地とは別の道筋なのだと言えましょう。
感謝とは、自らの選択と行動、そしてその結果の集積から生まれる心の動きの中で「ありがたい」と感じるものです。ここには、それを「有り難い」と感知できるだけの知識と経験が欠かせず、それらを体得する方法としてレイキの五戒を実践することに意味があるのだと、私は考えます。

まとめ――感謝できない自分から「感謝して」を考える
介護者が否定的な感情を持ち、そのことに罪悪感を抱く現象は研究されています。その一方で、感謝には心理的な資源として働く可能性があり、自分の意思で行う感謝の実践にも一定の効果が報告されています。
だから「感謝は介護者を苦しめるから、感謝しなくていい」とも「感謝には良い効果があるのだから、苦しくても感謝すべきだ」とも、私は結論づけません。また、「介護者に感謝を求めることで心理状態が悪化する」という直接的な因果関係も、今回の調査では確認できませんでした。
また五戒の「感謝して」が、臼井甕男本人によってどのような対象や意味まで含めて説明されていたのかについても、まだ分からない部分があります。そのうえで私は、「感謝して」をこう受け取っています。
「感謝して」とは、「感謝できない自分を罰して、無理に感謝をつくり出すための言葉ではない」
今の自分が感謝できていないなら、まずその自分に氣付く。
必要なら誰かの助けを借りる。
そして、自分が何を大切にしているのか、何を受け止め、これから何を選ぶのかを見つめてみる。
自分の意思で感謝へ目を向けてみることも、その選択肢の一つです。その先で、「これは、決して当たり前ではなかった」と気づいたとき、感謝が自分の内側から生まれることがある。
私にとって五戒の「感謝して」は、感謝できない自分を否定するところからではなく、今の自分を知るところから始まる言葉なのだと思います。

[付記]レイキと介護についてより深く知りたい方へ
今回の記事を読んでレイキや介護についてより深く知りたくなった方へ、以下を御案内します。
【レイキを深めたい方へ】
レイキをより深く知りたい方には、レイキに関して努めて科学的・論理的に情報をまとめた自著『氣付きと癒しのレイキ -次にわたしが選ぶヒーリング』がお勧めです。
レイキヒーリングにおいて重要なのはレイキの知識とレイキを扱う感覚です。そのどちらもが偏らないように記された本となります。どのような内容かを先に知りたい方はこちらの記事を参照してください。
【介護を深めたい方へ】
介護を深めたい方には、私の介護ブログや自著『お互いにありのままでいられる「想い紡ぐ介護」への招待』がお勧めです。介護現場で15年積み重ねてきた知識・哲学を余すことなく記した内容となっています。
介護の本質とは「『生命の価値』の保障」であり、その生命が現代社会でどのように扱われているか。それを受けて私たちはこれから何をすべきか。自分や大切な人々、次の世代をどのように介け護るのか。その内容を先に知りたい方はこちらの記事を参照にしてください。
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