レイキヒーリングを行う上でよく受ける質問に「それってスピなんですか?」といったレイキとスピリチュアルとの関連性があります。その質問の言外には
・「私は騙されているかもしれない」といった疑念
・「非科学的なものは信じない」といった信念
これらがあり、根底に「スピリチュアルは非科学である」という認識が窺われます。そこで今回は柊木匠氏の著書『スピリチュアルと物理学』を解説しながら、スピリチュアルへの正しい警戒と活用、そしてレイキとのつながりについて見ていきます。
今回の記事を読むことで
・スピリチュアルと科学
・警戒すべきスピリチュアルと、活用の余地があるスピリチュアル
・レイキとスピリチュアルにまつわる課題
これらの内容がわかりますので、ぜひ最後までお読みください。
著書紹介
『スピリチュアルと物理学』は物理学者・心理学者の柊木匠氏による2011年の著書。本書はスピリチュアルを物理学の視点から解き明かす試みで記され、科学が苦手な方でもわかりやすく解説されており、曖昧となりがちなスピリチュアルの世界観に輪郭を与えます。
スピリチュアルと科学を整理すると
ともすれば、スピリチュアルと科学は対極であるかのように語られます。それはスピリチュアルに対する批判として「非科学的」という言葉が使われることからも窺い知れます。
しかしスピリチュアルを非科学的とするには、まずスピリチュアルと科学について整理されていなければ検討できません。そのため二つの情報を整理すると
スピリチュアルは、ラテン語の spiritusに由来する英語で「霊的であること」「精神に関すること」を意味する。
本来は「宗教的・精神的な物事」「教会に関する事柄」または「神の」「聖霊の」「霊の」「魂の」「精神の」「超自然的な」「神聖な」「教会の」などの意味を含む英語の形容詞である。spiritus
1.呼吸。
2.微風。
3.精神、霊、霊感。
4.自負。
5.アルコール、酒精。
科学とは、世界に関する知識を検証可能な仮説と予測の形で構築する体系的な取り組みである。
現代の科学は通常、物理世界(自然界)を研究する自然科学(物理学・化学・生物学など)、個人や社会を研究する社会科学(社会学・歴史学・人文地理学など)、および公理や規則に準拠する形式体系を研究する形式科学(論理学・数学・統計学など)の3つに大別されることが多い。
このようになります。
科学とは「世界に関する知識を検証可能な仮説と予測の形で構築する体系的な取り組み」であり、スピリチュアルとは「霊的であること」「精神に関すること」です。またその語源を辿ればスピリチュアルとは「呼吸」「微風」「精神、霊、霊感」といった自然観測に基づくものだと言えます。
ともすれば元々のスピリチュアルとは自然科学の先駆けとも言えますが、ここに人間のイデオロギーや精神世界が持ち込まれたことから「非科学的」と評されるようになったと推察されます。
実際昨今のスピリチュアルで語れられる内容には科学的に見て整合性が取れない(再現性がない)ものが含まれており、またスピリチュアルを題材にした詐欺も見られる現状からスピリチュアルに対して非科学的と警戒するのはごく自然な姿勢と言えます。
一方で、スピリチュアルで語られる文脈を科学で照らし合わせたときに整合性が合うものも出てきました。それが今回紹介する『スピリチュアルと物理学』で語られる内容であり、スピリチュアルとの距離感を正し、警戒すべきものは警戒し、活用できる部分を活用していきましょう。
スピリチュアルを科学で照らし合わせると
著書『スピリチュアルと物理学』の基盤は物理学であり量子力学です。量子力学とは原子や電子といったミクロな物質の振る舞いを記述する現代物理学の基礎理論のことで、波と粒子の二重性や、測定するまで状態が確定しない不確定性原理等があります。
スピリチュアルに関連するものを一部まとめると以下になります。ただしこれらの理論はスピリチュアルの文脈を科学的に裏付けるものではなく、現時点では解釈の余地を与えるものであることに注意が必要です。
【波と粒子の二重性】【不確定性原理】【相補性】
・観測するまでどこに、どういう状態でいるかわからない=(相対する)二重の性質を持つ
→陰陽太極図
【観測問題】
・不確定なものを観測すると確定(物質化)する
→思考の現実化(引き寄せの法則とも呼ばれるが、要注意)
【質量とエネルギーの等価性】
・物質(質量)は凝縮されたエネルギーであり、両者は変換可能である
→氣
【固有振動数】
・物体や構造物が、外部からの強制的な力なしに自由な状態で自然に振動する際の周波数(1秒間の揺れ回数)のこと
→五行思想(陰陽五行説)、ヒーリング全般
【量子もつれ】
・相関する量子の片方を観測すると、時間的・空間的な条件に関係なくもう片方の量子の状態が同時に決定される
→遠隔ヒーリング
こうして並べてみると「確かにそうかもしれない」と思われる部分があることでしょう。自然観測より派生した元来のスピリチュアルであれば、まだ科学と照らし合わせてもある程度通じるところがあるかもしれません。
一方で巷で呼ばれる『思考の現実化』や『引き寄せの法則』などは、そもそも「個人がどのような思考を持つか」を客観的に表現し得ないため、当人の思考が本当に実現したかは主観でしか測りようがありません。そのためこれらは物理学というよりも脳科学や認知科学で整理する領域といえます。
とは言え、スピリチュアルを科学を通して整理することで、これまで理論的裏付けのなかったスピリチュアルに関してもある程度解釈の余地があることが伺えます。スピリチュアル全般を「非科学的」と断じるのは早計であり、何を警戒し、活用するかを見定めることが真に科学的姿勢と言えましょう。
【所感】警戒すべきスピリチュアル、活用の余地があるスピリチュアル
スピリチュアルにも科学に通じ得るものとそうでないものがあると見えてこれば、何を警戒して、どこに活用の余地があるのかもわかってきます。
スピリチュアルを非科学的な印象たらしめたのは、元来自然観測から派生したスピリチュアル(元来のスピリチュアル)に「人の意図や思想」が入り込んだためです。それは20世紀後半以降に現れた自己意識運動(ニューエイジ)から顕著となり、その中には人を騙して金銭等を巻き上げる動きも見られました。
その過去を振り返ればスピリチュアルとは「一旦疑うもの」であり、語られる内容を鵜呑みにして良いとは言えません。この文脈で語られる平和で優しいスピリチュアルの裏には人間の欲望が渦巻いており、その『救い』を求める自分自身の在り方にこそ解決すべき課題、当人にとっての「真の救い」があると言えます。

一方で元来のスピリチュアルが語っていた内容と科学を照らし合わせたとき、ある程度の整合性が見られるものがあったのは先の項でお伝えしたとおりです。
現在の科学水準から見て拙く見える部分があるかもしれませんが、現代にも通ずる法則性を見出した元来のスピリチュアルは人類の叡智とも言えます。その法則性をロジックを超えたスピリチュアリティ(霊性)がインスピレーション(霊感)導き出したのだとすれば、そうした人間の霊性や霊感によって導き出された元来のスピリチュアルを現代の基準で非科学的と論じるのは早計だと言えます。
なぜなら未来の人類から見た私たちもまた同様に未熟であり、しかし現代にも通ずる法則性を霊性・霊感から導き出したスピリチュアルを単に否定するのは進化・発展の否定になりかねないからです。

スピリチュアルにせよ科学にせよ自然観測抜きには成立せず、絶え間ない自然観測の最中で片方が霊性によって、片方が理性によってそれぞれを発展させてきました。しかし霊性頼りでは客観性に乏しく、理性だけでは未知に脆く、それぞれが限界を迎えつつあるのは人類史(過去)と世界情勢(現在)が指し示す通りです。
ホモ・サピエンスという種が今だに自己(魂)の解明を見ず、また科学が根源の解明に至らず、両者ともいたずらに人類、強いては自然そのものを滅亡へと向かわせる様を観測していれば。あるいは個人主義や科学偏重によってソサエティが機能不全を起こす現状を鑑みれば、霊性にせよ理性にせよ、片方だけでは機能しないことがうかがえます。

ここまでの話をまとめると
「警戒すべきスピリチュアルとは『人の意図や思想』が混じり込んだスピリチュアル全般であり、活用の余地があるスピリチュアルとは『自然観測』によって導き出された元来のスピリチュアルである」
となります。そして元来のスピリチュアルにおける活用の余地とは、理性だけでは行き詰まるところをスピリチュアリティ(霊性)やインスピレーション(霊感)によって乗り越える部分である、と。
総じてスピリチュアルとは「自立と自律」を前提にするものであり、神などの高次元存在や特定の物質などに依存する・させるものは『警戒すべきスピリチュアル』と括って差し支えないと言えます。
自立とは
①他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」
②支えるものがなく、そのものだけで立っていること。「自立式のパネル」
自律とは
①他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。「自律の精神を養う」
②カントの道徳哲学で、感性の自然的欲望などに拘束されず、自らの意志によって普遍的道徳法則を立て、これに従うこと。
レイキとスピリチュアルにまつわる課題
著書『スピリチュアルと物理学』によってスピリチュアルと科学が整理されると、レイキとスピリチュアルに関してもその距離感を正すことができるようになります。
改めてレイキについて整理すると
・レイキエネルギーそのものに科学的根拠はないがレイキは世界中で実践されており、体感ベースの実証データはある
・レイキ(靈氣)は語源から見れば「人知では計り知れないエネルギー」であり、転じて『高次元波動』や『宇宙エネルギー』と呼ばれる
・レイキヒーリングによるリラクゼーションが様々な結果をもたらすとの感想多数
というものになります。
レイキにまつわる課題は「レイキエネルギーを示す科学的根拠がないこと」と「靈氣という言葉にスピリチュアル的解釈が混じること」が交わることで非科学的・オカルト的に捉えられてしまう点です。
この中で「エネルギーを示す科学的根拠がないこと」とは、世界中でヒーリングの実態がありながら科学でその現象をもたらす因子の存在を証明できていないという科学の課題です。
また「靈氣という言葉にスピリチュアル的解釈が混じること」とは、レイキが発見された大正時代から今日に至るまで人間の理性では説明のつかない部分に対して霊性・霊感によって仮に解釈をつけた名残、あるいはその状態を利用した詐欺的行為が横行するレイキ界隈の課題です。

「高次元存在によるレイキ」は成り立つか
「レイキ界隈の課題が可視化されたもの」として神や天使、龍といったいわゆる高次元存在とレイキを結びつけて解釈したものがあります。
これまでお伝えしたとおりレイキ(靈氣)とは『人知では計り知れないエネルギー』であり、それは不可視なエネルギーに対して「人知では計り知れない(靈)」「エネルギー(氣)」と名付けたことからも窺い知れます。
目には見えないけれど確かにエネルギーのようなものが感じ取れ、そのエネルギーによってこれまでの常識では考えにくい現象が起きる。その様を『靈氣』と名付けた訳ですから、本来そこに神も天使も龍も関係ありません。レイキはあくまでエネルギーであり、それ以上でも以下でも、以外でもないのです。
そもそも神や天使、龍といった高次元存在は、元を辿れば自然崇拝によるものです。
自然崇拝とは、自然物・自然現象を対象とする崇拝、もしくはそれらを人格化、神格化する信仰の総称。
「自然への崇拝」ではなく、「自然」という概念ができる以前の崇拝形態である。自然崇拝は世界各地に見られ、また各地の神話にも自然物・現象を擬人化、神格化した神が登場することから、古くは普遍的であったと思われる。万物に宿る霊魂、精霊を崇拝対象とするアニミズムとも関係が深く、その原初的な形とも捉えられる。
しかし自然崇拝では精霊でなく自然物・現象そのものを崇拝対象とする(自然と超自然的存在を区別しない)場合も多く、またしばしば特定の自然物・現象だけを尊重する点で区別される。
自然物・自然現象の人格化・神格化によって「神、天使、龍」といった架空の存在が創られる構造は、自然現象に仮の名をつけた靈氣と同じですが、それらの存在が人格化・神格化するにはそうなるだけの情報(≒物語)が欠かせません。
それぞれの存在にはその存在足らしめる情報があり、レイキにもレイキ足らしめる情報があります。それらは本来個々で別のものですが、その情報を『人間の意図や思想』によって結びつけたものの一例が「高次元存在によるレイキ」です。
人間の意図や思想で生まれた高次元存在は自然物や自然現象ではなく、人工物・人為現象と言えます。それらは『偶像』であり、真の意味での神や天使、龍とは別物です。霊性も神秘性もなく、ただそれらを偶像足らしめた人間の意図や思想、すなわち欲望を具現化した偽物です。
またこうした偶像を崇めることを『偶像崇拝』と言い、一部の宗教において禁忌とされています。
偶像崇拝とは偶像を崇拝する行為。
旧約聖書では、イスラエルの神は預言者モーセに神の指で書かれた石の板二枚、十戒を授け、偶像崇拝を禁じた。ゆえに、アブラハムの宗教と呼ばれるユダヤ教、キリスト教、イスラームの諸宗教では偶像崇拝は禁忌とされており、神を可視化してはならない。
「高次元存在によるレイキ」とは、その高次元存在の文脈を正確に準えたものでもない限り人為的なエネルギーであり、よしんば準えたとしても高次元存在の元となった自然現象には人間にレイキを授けるような『意思』はなく自然の摂理に則るのみですから、構造的に成立し得ないものと言えます。

また『人間の意図や思想』とは、自然観測による元来のスピリチュアルを警戒すべきスピリチュアルに変貌させたものであり、エネルギーの文脈において「内氣」と分類されるものです。
内氣はそのエネルギー構成に『人間の意図や思想』が混じるため、同じ価値観や思想に合う人には強力と感じられやすく、一方で合わない人にとっては苦しいものに感じられるという相性の問題があります。
そのため「高次元存在によるレイキ」を受けたり伝授されたりする場合は、まず自分の目的と合うか、そのエネルギーが自分に不調をきたさないかを確認した上で取捨選択すると良いでしょう。
【まとめ】「スピリチュアルと物理学」は、スピリチュアルと科学を橋渡しするバランサーとなる本
今回は柊木匠氏の著書『スピリチュアルと物理学』を解説しながら、レイキとスピリチュアルにまつわる課題を浮き彫りにしていきました。
スピリチュアルは自然観測による元来のスピリチュアルと、人間の意図や思想が混じり込んだ警戒すべきスピリチュアルがあり、それらを分けるには物理学を始めとした科学の視点が重要となります。
科学で証明された範疇の中でスピリチュアルには「霊性や霊感による未知への理解」という部分において活用の余地があり、スピリチュアルを直ちに否定してしまうと理性の暴走を食い止められなくなります。一方でスピリチュアルを無条件で受け入れてしまうと人間の意図や思想に流されて自立・自律を損ねて盲信的になりかねません。
スピリチュアルと科学。どちらも「偏る」ことには危うさがあり、霊性と理性とがお互いを磨き上げられるよう、一人ひとりが自主的に学ぶ姿勢が大切と言えます。
またその姿勢があって初めてレイキは「警戒すべきスピリチュアル」と適切な距離感を保ち、非科学的なイメージを払拭することになるでしょう。その為にレイキヒーラーやレイキティーチャーは霊性だけでなく理性で持ってレイキを捉えられるよう日々の学びが必要です。
『スピリチュアルと物理学』は霊性と理性を結びつける試みであり、ともすれば偏りがちな私たちの価値観や思想を中庸へと導きます。
「スピリチュアルな世界観が好きだけど、周りからあまり理解されない」
「スピリチュアルは非科学だ」
「物理学がスピリチュアルをどのように捉えるか、興味がある」
こうした方々には是非手に取って読んでいただきたい本となります。


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