「レイキを1日でマスターできます」。
あなたはこんな文言をレイキスクールやサロンで見たことがあるかもしれません。
もしかしたら実際にそうした文言に心躍らせ、実際にレイキ伝授を受けた方もいるでしょう。
しかし、私のところへレイキ伝授を受けに来た方の中には「他の所でレイキの伝授をしてもらったけど、うまく使えなかった」といった理由で講座を受講された方がいます。
また師のスクールにおいても他所のスクールから再受講される方が多く見え、その背景には「1日でマスターできる」という文言が関わっていることが見えてきました。
そこで今回は「レイキは本当に1日でマスターできるのか」について解説し、実際にどのような判断をすれば良いのかをお伝えします。
一人でも多くの方が、レイキを安心して使える環境に辿り着けることを願って。
「レイキを1日でマスター」とはどういうことか
「レイキを1日でマスター」問題を考えるにあたっては、言葉を分けてそれぞれの意味を理解するところから始まります。
それぞれを整理すると以下のようになります。
・レイキ→「人知では計り知れない自然循環エネルギー」
・1日で→「24時間以内で」
・マスターする→「物事に熟達する、習得する」
これらをつなぎ合わせると
「人知では計り知れない自然循環エネルギーを24時間以内に習得・熟達させる」
これが「レイキを1日でマスターする」ことの達成条件となります。
これが実現できれば「レイキを1日でマスター」という文言は事実となり、実現できなければ誇大表現ではないかと考えられます。

レイキ伝授は1日で行えるか
「レイキを1日でマスターする」。その達成条件をより細かく見ていくためには「レイキ伝授は1日で行えるか」を知る必要があります。
結論から言えば、「レイキ伝授」という一点に限れば可能です。
ただしそれはレイキをヒーリングツールとして捉える西洋式レイキの考え方によるもので、日本伝統式レイキの核とも言える「精神向上」を端折る形となります。
それはレイキを「技術」としては扱えるものの、「あり方」としては捉えない状態です。
例えば便利な道具を渡されても「この道具を使ってどうしたいか、どうなりたいか」がわからないままでは宝の持ち腐れになってしまうのと同じで、ツールとしてレイキを伝授されても持て余してしまうのです。

レイキを適切に扱うには、レイキを扱う技術だけでなくレイキを扱うものとしての心構えも必要になります。
それは以前こちらでもお話ししたように、レイキエネルギーには「内氣が混ざることで望まない結果を招く可能性がある」ため、
・レイキを扱う『わたし』(価値観、思考、感情、精神、体調など)
これがレイキエネルギーに影響を与えることが多数報告されています。そしてこの現象に対応策として、レイキヒーラーは自分のあり方を認め、内氣を混ぜないよう日々の瞑想を通じて己を客観視する力を身につけていくのです。
また西洋式レイキで重宝されるツールもその目的は同じで、「ヒーリング中に内氣を混ぜない」ことにあります。ただし「ツールを使えば内氣は混ざらない」という思考もまた内氣となり得るため、日本伝統式レイキの精神向上も同時に取り入れる方が無難と言えます。
タイパ時代における「物事の熟達」という言葉の意味
今の時代は変化のスピードが早く、「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉が時代を象徴するものとなっています。
タイムパフォーマンス(英:Time Performance)は、かけた時間に対する効果、すなわち「時間対効果」のことである。
かけた費用に対する効果(費用対効果)を意味する「コストパフォーマンス(省略形:コスパ)」の「コスト」を「タイム」(時間)に置き換えた造語で、和製英語。
出典:タイムパフォーマンス|Wikipedia
タイパ時代とは「一つの物事に掛けた時間に対する満足度がどれだけ高いか」が重視される時代のことで、「かける時間は短く、得られる効果は多く」を追い求める生き方を指します。
1990代後半から2010前半に生まれたZ世代の若者を中心にタイパを求める動きが過熱しているのは、デジタル商品が当たり前のように身の回りにある現代はコンテンツが豊富にあり、その一つひとつに時間をかけていられない事情があるのです。
然るに、タイパ時代における「物事の熟達」、いわゆるマスターもまた時間短縮が求められます。
今回の主題である「レイキを1日でマスターする」にもタイパ時代の影響は色濃く残り、
「これだけ便利な世の中なのだから、マスターする時間も短縮できる(されている)はずだ」
と考える人が増えても何ら不思議ではなく、実際にそう求めるからこそ「レイキを1日でマスター」という文言に心惹かれる人が後を絶たないのです。

改めて、「熟達」の意味を調べてみましょう。
熟達とは「熟練し、上達すること」であり、熟練とは「よく慣れていて上手なこと」です。また上達とは「技能が進んで、うまくなること」ですから、これらを合わせて読み解いていくと、熟達とは
「よく慣れることで技能が進み、上手になること」
という意味合いになります。
すると冒頭でまとめた「レイキを1日でマスターする」とは、
・レイキ→「人知では計り知れない自然循環エネルギー」
・1日で→「24時間以内で」
・マスターする→「物事に熟達する、習得する」
「レイキを1日でマスターする」とは「人知では計り知れない自然循環エネルギーであるレイキを、24時間以内で『よく慣れ、技能が進んで上手になる状態』にする」こと。
という話になります。
率直な意見をお聞きしたいのですが、以上の内容を本当に1日で実現可能だと思いますか?
この問いの感想こそ、「レイキを1日でマスターできるか」の揺るぎない答えとなります。

理性と感性のバランスを欠いた現代社会
この「レイキを1日でマスターできる」問題の根本にあるのは、現代人に多くみられる「理性と感性のバランスを欠いた状態」があると私は考えます。
この場合における理性とは「知識から生まれるもの」、感性とは「体感から生まれるもの」であり、多くの人々は理性か感性のどちらかに片寄っているように見受けられます。
何故そう考えるのかというと、2020年のコロナ禍を機に
「自然現象を見ればわかること」が伝わらない
「論理的に考えれば成り立たないこと」が受け入れられない
そんな場面を数年に渡り、多数見届けてきたからです。
理性にしても感性にしても、偏れば『盲信』となります。
盲信とは「わけもわからずに信じ込むこと」であり、この「わけ」とは『理由』と書き、「物事がそのようになった筋道」のことです。
一言にすると「どうしてそうなったかはわからないけど、そういうものだと信じ込む」のが盲信であり、その根底には『正しさ』があるように思えてなりません。

学校教育を振り返ればその評価方法は採点式であり、「いかに『正しい』答えを導き出せるか」に点数をつけて生徒を評価してきました。その評価に従って成績が決まり、学歴に影響を与え、選択できる就職先も限られてくるのが一般的なライフスタイルとなっています。
その為、当人たちの意図とは関係なく「正しさに当てはまることが正しい」と刷り込まれており、
「誰かの用意した正しさに当てはまろうとすることを善、当てはまろうとしないことを悪」
と認識して物事を判断するようになったと見ています。
もちろん社会規範や道徳を遵守することは社会に生きる一員として必要なことです。そうした社会性とは別に、理性や感性によって過ちだと勘づけるものを、「正しい」と言われたことで疑えなくなる状態を危惧しているのです。
タイパ時代の『時間の価値』とは
また「タイパ時代」において膨大なコンテンツを消費しようと思えば、一つの物事に掛かる時間をなるべく少なく抑える必要があります。いわゆる「時短」です。
「同じような結果をもたらすのであれば、よりコストが抑えられた方が良い」という合理性のもとに日常生活のみならず趣味の領域まで時短が求められる現在社会では
『時間』が重視されていながら、重宝はされていない
という状態に陥っています。

そうなる原因は、時短の目的が「時間を浪費するため」だからです。
例えば読書に関して、本を読み終えるのに2時間掛かるところを、本の要約を読んで5分で済ませるのが今の時代では「タイパができている状態」となります。
1時間55分の節約ができたことで、今度はその1時間55分の時間を区切って自分の目的に合わせた使い方をするのです。
わかりやすく時短の目的を「読書」で統一すると、同じ2時間でも
A:1冊の本を2時間掛けて読み終える
B:本の要約(5分)を24冊分見る
AとBでは、Bの方が「時間を上手に使えている」と称賛され、2時間で得られる情報量がBはAの24倍になったと捉えるのがタイパ時代の考え方になります。Bは「情報量=知識」を重視していることになり、理性に寄る形となります。
では、Aは何をしているのかというと、「読書」という時間を体感していることになります。文字が織りなす世界を楽しみ、時に作者の思考と自分の思考を織り混ぜながら本への解釈を深めているのです。これは本から得られる体感を重宝していることになり、感性に寄る形となります。
このAとBの違いは本来どちらが優れているかといった比較するものではありませんが、一方で「こうする方が適している」とAとBを意識して選べない、あるいはAかBかを選べることに氣付かない状態が『正しさ』を盲信している状態です。
この時、時間は「正しさに従う」ために浪費されます。
自分の意図ではなく誰かの意図に従って時間が使われる以上、それは「時間を使わされている」のであり、自分の意思で選択されない時間の減少は「浪費」と言えます。
そしてタイパ時代の『正しさ』とはAの時短を追い求めるところにありますから、現代社会では『時間の価値』が軽んじられていくのです。

このことがよくわかる言葉に『手間』があります。
手間とは「そのことをするのに費やされる時間や労力」のことで、「手間を省く」「手間がかかる」といったネガティブイメージで捉えられがちです。時間の消費をいかに抑えるかが重視され、その時間は「ない方が良い」と判断されるため、時間の価値は軽んじられているのです。
一方で「手間をかける」となると、費やす時間や労力に意識が向き、それらが重宝されることになります。例えば「手間暇かけた料理」に調理した人からの愛情を感じられるのは、費やされた時間や労力に思いを馳せることができるからです。
加えて、時短のために選ばれたツールやプロセスこそが心身に悪影響を与えるのだとしたら、時短とは「生命を削ること」にすらなりかねません。
時短によって費やされる時間を節約できたのに、それによって「自分が満足に生きられる時間」すら削っているのだとしたら、一体何のために時短をするのか。
『時間を掛けることの意味』を今一度思い出すと、「時間を節約することが良いとばかり言えない」と理性でも感性でも受け入れられるはずです。
そしてそれは、本題である「レイキを1日でマスターする」という文言に感じた魅力を改めるものとなるでしょう。
まとめ
今回はレイキスクールやサロンに散見される「レイキを1日でマスターする」という文言が実際に可能かについてお話ししてきました。
ここまでの話をまとめると
・「レイキを1日でマスター」とは「人知では計り知れない自然循環エネルギーを24時間以内に習得・熟達させる」ことを言う
・熟達とは「よく慣れることで技能が進み、上手になること」であり、それが1日で実現可能かどうかの判断が「レイキを1日でマスターできるか」の答えとなる。
・この問題の背景には、現代人の「知識から生まれる理性」と「体感から生まれる感性」とのバランスを欠いた状態がある。
・バランスを欠いた状態だと「自然現象を見ればわかること」「論理的に考えれば受け入れられること」が理解できなくなり、『正しさ』を盲信してしまう。
・タイムパフォーマンス(タイパ)が求められる今の時代では「時短」が重視されるが、『時間の価値』を見直せば時短が全てではないと腑に落ちる
「レイキを1日でマスターする」という言葉には、タイパの時代だからこその魅力が感じられるかもしれません。
しかし物事を熟達する時間を短くすれば、その過程で得られる体感をも省いてしまいます。特にレイキはそのエネルギーを存在を示すか科学的根拠がなく、体幹によってそのエネルギーへの確信を深めていくものですから、レイキを1日でマスターすることはデメリットの方が大きいと考えられます。
「いち早くレイキをマスターしたい」という気持ちは、日々のレイキ実践に活かしてこそ現実となります。私の師の言葉を借りれば「レイキは一日して成らず」なのです。
今回の内容はinstagramでもまとめています。
こちらも参考にしてみてください。
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